恵那の食に挑戦する 農業人

紅うど生産者

近藤 明徳さん

  • 農業人
近藤01

 

 

山間の道をゆっくり上がっていくと、少しひらけた谷間に美しい田園風景が広がり、さらにひと山超えた谷間の上矢作町は、深い山々から清水が湧き出で、澄んだ空気と穏やかな人々の生活がそこにあります。

 

その農村の中に脈々と受け継がれ、岐阜県の伝統野菜として認証された「紅うど」

鮮明な赤色の茎が特徴で、香り高く柔らか。一般の山うどとは一味ちがう春の味わいをもたらしてくれます。

 

貴重な紅うどを大切に育て、出荷されている近藤明徳さんに、その歴史とこれからのお話しを伺いました。

 

 

―近藤さんのお宅では、いつ頃から紅うどを育てられていたんですか?

 

60年くらい前に、母親が上矢作町漆原地区にある実家から分けてもらってきました。

上矢作町では明治の時代には各農家で普通に育てられていたようですよ。山うどは茎が白いですよね、これは赤くてとても珍しいということで、岐阜県から「飛騨・美濃伝統野菜」として認証を受け、今は20軒ほどの農家で生産し、道の駅 上矢作ラ・フォーレ福寿の里へ出荷しています。

 

それぞれ生産農家の圃場は、山際に位置するところもあれば、山の中腹に位置するところもあるので高低差で気温が少しずつ違います。芽の出る時期が違うことから出荷できるタイミングがずれ、道の駅には4月上旬から5月中旬まで出荷することができるんです。

 

地のものは時のもの、旬の野菜・山菜は栄養価も高く、味も良いですからね。

たくさんの人に紅うどを食べてもらいたいです。

 

紅うど03

 

―紅うどの栽培方法はお母さんから教わったのですか?

 

そうです。うどの周りをトタンで囲い、もみ殻を入れてね。うどの茎は日光に当たると緑色に変色するんですよ。それで大きくなるにつれて、もみ殻で覆ってやると茎の色は白いまま、紅うどなら鮮やかな赤色に育ちます。今の圃場は母親と二人でつくりました。

 

私は可児の農業学校(現在の農業大学校)を卒業した後、明智にある工場へ勤務していました。22歳の時に東美濃農協へ転職し、定年まで勤めました。退職後は臨時の職員として勤めています。

家の農作業をするようになったのは、母が体力的に一人で作業をすることができなくなってきた10年ほど前からです。

 

母は小菊や野菜を育てたりするのが好きで、晩年は道の駅へ出荷して、お客さんに喜ばれていたようですよ。

 

近藤02

 

 

―お母さんはどんな方でしたか?

 

地元の工場を退職した50歳を過ぎてから、地域の仲間4人で出資して加工グループを作ってね。からすみや草餅、五平もちなどを地元のイベントに出店して販売したり、一人暮らしのお年寄りを訪ねて話をするのに、加工品を持って行ったりしてましたよ。仲間同士で味を研究しながらね、ああしよう、こうしようと家でも考えながら楽しそうでした。

上矢作の特産品である三作みそは、母親の実家がある地域で作っている味噌です。昔ながらの懐かしい味がしますよ。

 

 

―近藤さんは紅うどだけでなく、他の野菜もいろいろな種類を出荷されていますね。

 

年間を通して道の駅へ出荷しています。春は菜の花、夏はなす・えだまめ・十六ささげ・とうもろこし、秋は大根・かぶなど。

身近にない、いわゆる変わり種はカタログを見て買います。

アイスプラント・三角で小さめの子どもピーマン・カラーピーマン・カラーニンジン・ミニ白菜・紅心大根・サラダ大根・コーラルリーフフェザーなど、栽培経験のないものも育てます。たまに山岡にいらっしゃる元県職員の農業の先生を訪ねて行って教えてもらったりしています。

子どもと一緒、育て方とか考えるのはおもしろいですね。

 

近藤04

 

 

―これからやってみたいことや夢を教えてください。

 

そうですね、野菜を育てながらぼちぼちいきたいですね。

うちの奥さんは行動派で、仕事に趣味に忙しい中でも、子どもたち家族との合同旅行を奥さんと嫁たちで計画してくれて、一家揃って行きました。孫も全員揃っての旅行は楽しかったなあ。

 

私が農協を退職後に再雇用になったときや、いろいろな関わりで仕事を頼まれ迷っていたときに、奥さんは「誘われたら、断らんとき」って言うんです。

そういう繋がりは大切にしたいですからね。

よくやってくれますよ。

これからは夫婦で旅行を楽しみたいと思っています。

生産者情報

紅うど生産者

一覧へもどる

農業人一覧