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2021年10月29日

【恵那の農家の暮らしと食歳時記①】上矢作町三作地区 三作オールドサロン

 

80%近い面積が山林の恵那市では、身近な山や田畑で収穫される農産物を食べることができ、そこに暮らす人たちの生活スタイルは変われども、昔ながらの暮らしの名残があります。

それは都会にはない、恵那ならではの魅力であり、人々の知恵は無形の財産と言えるでしょう。

 

 

私たちは、次世代の食の安全性や豊かさ、自然との共存、農村景観を守っていくためのヒントが、昔ながらの暮らしの工夫にあると考えています。

そして、農山村の暮らしにの中にある食文化について市内各地の方々から聞き取り、『恵那の農家の暮らしと食歳時記』としてまとめることにしました。

 

 

今回は、恵那市上矢作町三作(みつくり)地区にお住まいの方々が集う『三作オールドサロン』にて、昭和30年から50年代頃の暮らしと毎日の食事、行事ごとの食について伺いました。

 

 

 

三作オールドサロン


恵那市の南東部に位置する上矢作町は、長野県と愛知県に接し、町の面積の95%が山林です。町名の由来は、矢作川の支流が町内を流れていることに由来します。深い山と山との谷あいを流れる川の名前は「上村川」。愛知県との境で矢作川と合流しています。

川沿いに通る県道を挟むようにある三作地区は、なだらかな坂道の地域でどこも日当たりが良く、その美しい農村景観にはトマトが生産される農業用ハウスも見られます。昭和40年代から続く夏秋トマトは上矢作の昼夜の寒暖差のなかで育つことで旨味を増し、味わい濃いトマトとして評判です。

 

 

 

 

 

 

 

三作オールドサロンのメンバーは、三作に昔から暮らしている80代から90代の女性を中心に週2回、集会所にで会話を楽しんでいます。

生まれも育ちも三作地区の梅本文子さんが、当時地域の役員をしていた後藤嶺子さんに「仲間が集まっておしゃべりできるところを作ってほしい」と声をかけ、定期的に集まるようになりました。食生活改善推進協議会のメンバーとして活躍された経験のある嶺子さんはサロンに集まる方からの信頼も厚く、地域の重要な世話役としていらっしゃいます。

そんな嶺子さんのお力添えもあり、昔の食生活の話は楽しいものとなりました。

 

 

左下段から、堀季子さん、佐藤恵美子さん、梅本文子さん、左上段から後藤嶺子さん、後藤恒子さん、後藤利子さん

 

 

 

「昔は菓子なんてなかったで、オヤツと言っちゃあ干し柿やったて。干し柿をポケットに入れて遊びに行きよったの。」

嶺子さんが持ち寄った手作りの干し柿を見て、優しい声で話し始めた文子さん。それに続いてみなさんの思い出話が始まりました。

 

 

 

 

 

 

 

野山の恵み


「柿が採れたら皮を剥いて軒(軒下)に干いてね。柔らこうなるよう、ときどき揉んでやって。12月ごろに白い粉がふいてくる(表面に表れる)で、そうしたら食べ頃やに」恵美子さん(92歳)

 

「干し柿の白い粉は糖分やでね、甘い粉。剥いた皮も捨てずに干いて、沢庵(大根漬け)漬けるときに蓋のようにして入れてやるんやに。昔は10人も一緒に住んどったで、漬もんも木樽いっぱい漬けよった」季子さん(88歳)

 

「山やと、ナツメや栗なんかあるで採ってきた。川で遊ぶときには網持ってって、じんた(小魚)なんかをとって家に持ってって煮て食べたに。今は川が浅くなったてぇ、去年は鮎は全然とれなんだ」利子さん 84歳

 

「すうめ(プラムに似た果物)を採ってきて食べたよ。山栗もあったなぁ」嶺子さん 73歳

 

 

 

毎日のごはん


「ごはんは麦めし。米は採れたけど、量増し(かさまし)に大麦を茹でといてごはんと混ぜよぉったて。大麦をつぶしたのを、つぶし麦って言よぉった」

 

「学校へ持ってくごはんは白いとこを多めに寄って(選んで)入れてくだれた(もらった)」恒子さん 85歳

 

「味噌や醤油も作りょおったて。室(地区の共同麹室)で麹を作って、それを味噌や醤油にしとったの。室の作業は冬場、男の人も一緒にやりょおった。昔は坂道を上った観音寺にあったもんで、重い荷物を持って上がってく(登っていく)のが大変やった。麹が出来上がるのに何日もかかるでね。坂道の下に集会所をつくるとき同じ敷地内に建て直したで、集会所が休憩所にもなってよかったよ」

 

「大勢の家族が食べる、一年分の味噌・醤油を仕込まなかんで大ごとだったて。米麹で甘酒も作りょおったしね」

 

「室の作業は熱いで危なかったよ。倒れる人がおった。炭を炊いて温度上げてね、温度計はなかったて。だで、中へ入るときは絶対に一人で入ったらあかんかった」

 

 

 

共同麹室。昔はどこの地域にもあったが三作は最後まで残り、「三作味噌」として販売していたこともある。現在は使っていない。

 

 

 

 

 

 

 

「鶏やウサギも飼っとったよ。年の暮れになると食べた」

 

「里芋を串にさして囲炉裏であぶったのは美味しかった。味噌をつけて田楽にした。今は七輪でやったりする」

 

「こんにゃくは芋から作りょおったて。たいへん採れた芋を軒ぐろ(軒下。家屋や屋敷内の隅)で乾燥させて、売りに行きょおった。うちで使う分も残いて、灰汁で固めて作りょおったよ。よぉ(よく)練らなかん」

 

「こんにゃくの白和えは美味しかったよ。味付けしたこんにゃくと湯通しした豆腐、クルミや落花生を入れた」

 

「豆腐も作とった。豆を一昼夜ふやかいといて(水につける)石臼で挽いて、けっこうな手間やった」

 

「こんにゃく芋は現金収入になったで、うちでは旧正月に飾る繭玉団子を、こんにゃく芋の形にしたりしてたよ」文子さんのお嫁さん

 

※繭玉団子…旧正月(1月中旬の行事)に、繭玉の形に見立てた米粉でつくられた団子をお供えし、農家の現金収入である養蚕業や稲の豊作を祈願した。

 

 

 

お正月の食


「年末には年とりのおかず。(食材を)七色に入れる。(7種類)うちのお雑煮は里芋を入れたに。鍋の一番下に里芋を入れてつくるといいって言って」

 

「正月は本膳からつくってやりょおったけど、今はやらんなぁ」

 

「お正月のお餅は幾臼(何回も餅つきをした)も作らなかんで大ごとだったて。豆餅、あわ餅、タカキビも入れたりしたけど、白い餅が良かったのぉ」

 

「餅花にする餅は里芋を一緒に入れると食べるとき、よぉ膨らんで美味しかったて」

 

「餅花は竹に餅をつけて稲穂に見立てたの。石臼を土台にして、大黒柱にくくりつけておった」

 

「びんかに餅をつけた餅花も作っとったよ。小さいの」

 

「道具の年とり(旧正月。農具や裁縫道具にお供え物をした)やら、もちい(小正月。あづき粥を作って食べた)やらもやりょおったよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

季節の食


「からすみもよぉ作ったよ。よく練るとおいしいの、蒸して練り返ししてもう一回蒸して。よもぎや梅紫蘇を入れた」

 

「ここらの五月節句は旧暦の6月5日やった。そのころになると柏の葉っぱが大きくなって作りょおった」

 

「家の敷地内に柏木を植えたったよ。家のは虫がよぅつくもん。山にある柏の葉には虫がついとらんかった」

 

「ちまきも作った。カリヤスを採ってきてね、あれは技術がいるでむつかしい」

 

「朴葉寿司はつくったことがない。山へ行けば朴の木はあるけど、子どものころも食べとらんかった」

 

「朴葉寿司は食生活改善委員やったときはよく作って販売したよ。あれはよく売れた」

 

「巻きずしは子どもんたらが運動会のときに作っとったよ」

 

「お月見どろぼうは、この辺りだけに残っとるそうやね。二十二夜や、お立ち待ちもやった。子どもんたらが神社に集められて「お月様出てくるまで座るやないぞ」って言われてずっと立っとった」

 

「お彼岸にはぼたもちも作ったよ。小豆から作って。孫がこしあんがええって言うもんで、こしあんでも作っとった」

 

「うちは秋はつぶあん、春はきな粉で作っとったよ」

 

「山の講もやりょおったて」

 

「五平餅も作った。昔はお客さんが来ると五平餅。しょうゆに砂糖、落花生やら胡麻を入れて。ショウガやネギも入れよぉった」

 

「ここらの五平餅はわらじ形やよ。型もあるけど、手で握る。串は杉でつくったもの。檜は臭いであかん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「昔は食べるものは全部つくらにゃなかったでね。今で言う、自給自足の生活だよ。何から何まで、全部自分たちの手で作ったの」

最高齢の佐藤恵美子さんの言葉です。

 

 

生活スタイルが昔と変わらない人はいませんが、何でもつくる経験したことがある人は工夫する能力、または適応能力が高いかもしれません。

恵那の自然の豊かさを知るものさしとして郷土の食を知ることから始め、暮らしに新しい可能性を見出していきたいと思っています。

 

 

 

 

 

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