2024.11.25
オーガニック料理教室を開催します
2021年9月2日
▲ 山岡おばあちゃんの店で大人気、秋子さん手作りの煮豆
山岡町は恵那市の中西部・標高400mに位置し、冬季の田園では厳しい寒暖差を利用してつくられる「細寒天」を天日干しする様子が広がります。
よしずに突き出された心太(ところてん)は、昼間の乾燥、夜間の凍結を何度か重ね、細寒天に姿を変えます。晴天が多く昼夜の寒暖差が大きい山岡町ならではの気候が質の良い細寒天を生みだし、その生産量は全国シェア80%以上。厳しい自然と向き合った誠実な寒天づくりは昭和初期に農家の副業として始まり、寒天づくりに適した山岡町の風土と伝統的な製法は当地の冬の風物詩となっています。
山岡町は、平成16年に近隣6市町村が合併して現在の恵那市となるまで、女性の地位向上を目的に、農村に暮らす女性たちの知恵を生かしたものづくりや、地域で子育てを応援するコミュニティづくりに力を注いでいました。中でも象徴的なコミュニティ施設が、農産物加工調理室やトレーニングルーム、小さな子どもたちの遊戯室などを備えた『山岡町農村婦人の家・ささゆり荘』でした。そこに集う女性たちは岐阜県生活改良普及員の指導のもと、グループごとに豆腐やからすみ、五平餅、こんにゃく、朴葉寿司、味噌など季節の農産物を利用した加工品をつくっていました。また、施設の大型冷凍庫や真空パック機を使い自家産の余剰野菜を保存し遠くに住む知人・親族への贈り物を手づくりしていました。そこに集う女性の年齢層はさまざまで、地域のお年寄りから山野草を使った薬効を学んだり、子育ての悩みを相談したり、共通の話題を交わすなかで生活の知恵の伝承と手作りの尊さを学んでいました。
今回は、『山岡町農村婦人の家・ささゆり荘』で初期の運営に関わられ、そこから派生した『山岡のおばあちゃんの手づくりの店』『道の駅おばあちゃん市・山岡』の立ち上げ時の運営にも関わられていた加藤秋子さんと、現在の道の駅おばあちゃん市・山岡の駅長 浅井三枝子さんから、山岡での食の取り組みや思い、朴葉寿司などの郷土食についてお話を伺いました。
▲ 加藤秋子さん
▲ 山岡のおばあちゃんの手づくりの店
8月お盆に入る少し前、お話をお聞きした場所は秋子さんが立ち上げられた『山岡のおばあちゃんの手づくりの店』です。
店の中に入ると、おばあちゃん手づくりの惣菜・梅干し・お弁当・五平餅がいっぱい並び、それを求める地元のお客さんでにぎわっています。中でも秋子さんがつくる『煮豆』はもちっとした食感とほどよい甘さが大人気でリピーターが後を絶ちません。
取材中、以前、店の従業員として長年勤めた方がお客さんとして来店されていて、秋子さんを慕って勤められていたころの懐かしいお話を聞くことができました。
「この店舗は、前は喫茶店やったんやに。空き店舗やったここを一生懸命きれいに掃除し直して、自分たちの店を始めたの。
開店の前日、私がふっと店を覗いたら作業を終えた秋子さんが一人で座っとってさ。ほっと一息しとったのか、疲れた顔しとったよ。その顔を見たらもう、これから秋子さんのためにも頑張らなかんと思ったに!店を大きくせなかんと思って何でもやったよ。ほんだで、ここを辞めてからも時折こうやって店に来るの」
▲ 写真左 浅井三枝子さん(道の駅おばあちゃん市・山岡 駅長)、写真右 加藤秋子さん
家庭で伝える『おふくろの味』
秋子さんは昭和19年、恵那市岩村町で生まれました。
ご実家は岩村の古い町並み商店街のなかにありました。3人兄弟のなかで女の子が一人ということもあり、子どもの頃からお母さんのお手伝いをよくされていました。農家ではなかったので農作業をすることはありませんでしたが、春のお祭り頃になれば朴葉寿司をつくったりして、季節の行事食を手作りする家庭で育ちました。
「朴葉寿司の包み方はお母さんから習ったよ」
家族も朴葉寿司となると「今日はご馳走」と喜び、台所のテーブルいっぱいに朴葉を広げ作っている様子が気になって何度も台所を覗きに来ていました。椎茸を甘く煮る香りや寿司飯の香りに誘われてついつい覗いてしまうのでしょう。戦後間もなく白米を口にすることも贅沢だった時代に、目にも鮮やかな若緑色の大きな葉っぱの上に真っ白な寿司飯、甘い椎茸やきゃらぶき、酢〆の魚がのったお寿司は正にご馳走でした。
「今は昔とはずいぶん変わった。おばあちゃんたちと一緒に暮らす家庭が少なくなったしね。何でも買える時代やで、何でも家庭で手作りせなかんこともなくなった。寿司は鮮度の良い魚が手に入りやすくなったでね。手巻き寿司や巻き寿司、あげ寿司が喜ばれるやろう。外へ行けば回転寿司がある。うちの孫んたらでもそうやよ、椎茸の煮る香りでは喜ばんくなった。
ほんでも私は娘にも孫にも、昔ながらのごはんを作って食べさせたいよ。
孫と一緒に梅干しの紫蘇漬けをしたときは、孫の手つきがほんっと良かったでね、嬉しかったの。褒めてやった!
その時のことは孫も覚えとって、最近、嫁の実家のおばあちゃんに呼ばれて紫蘇漬けを手伝ったそうや。おばあちゃんが喜んでくれたと言っとったに。それを私に言うで、きっとあの子はまたいつか、梅がなれば梅干しを漬けて紫蘇をもんでということをするやろう。何でも経験したことはいつまでも身体が覚えとるでね」
『農村婦人の家』で伝えられた『おふくろの味』
「私は長年、山岡町の役場に勤めとってね。男女共同参画を進める女性政策室ってところにおった時に『農村婦人の家』もやることになったの。そこの調理室(加工所)を利用するグループがいくつかあって、県の生活改良普及員さんが中心になっていろいろ教えてもらった。味噌やら豆腐やら、季節ごとの食事を作ったに。時には外に出て野草をとってきてね、その使い方なんかを山岡のおばあちゃんから習うこともあった。そのうち自分もみんなに教えられるくらいになってね。しまいにはレシピ集『あの頃の山岡のなつかしい味』や『山岡のおばあちゃんの薬草』にまとめてね、利用しとった人たちと一緒に作った。ここの店にも売っとるよ。」
『農村婦人の家』は、農家の女性たちが野良着のまま気楽に出入りできる施設でした。
女性たちは家庭での役割にとらわれ外出することに躊躇し、自分の意見を公の場で発言することなどない時代に、女性たちだけで運営できるコミュニィは他にはない場所でした。当時の利用者は、気軽に足を運べる場所づくりは職員さんたちの明るい対応と尽力の賜物だったと言います。地道な育みは山岡の女性たちの料理の腕前を上げ、農村での生活は明るいものとなっていきました。そのレベルは家庭の生活向上につながるだけではなく、対価を得られるほどの出来栄えとなっていきました。
そんな頃、山岡のお年寄りを中心とした『日曜朝市』が立ち上がり、そこで『農村婦人の家』でつくられる加工品が販売されるようになりました。野菜とともに、すぐに食べられる加工品はよく売れました。平成12年に販売の拠点となる『山岡おばあちゃんの手づくりの店』が開業され、日曜だけでなく買えるようになった加工品は地元山岡にはなくてならない店へと発展していきました。
平成16年には『道の駅おばあちゃん市・山岡』が開業。恵那の西の玄関口と言われ、全国でも堂々たる来場者数を誇っています。
現在も受け継がれる、女性の気概
平成28年、山岡の女性活躍の起爆剤となった『農村婦人の家』は閉鎖されました。
現在の駅長、浅井三枝子さんは、
「山岡の女性は本当に元気!お年寄りは生き生きとしています。
『農村婦人の家』で培われた郷土の知恵は私たちの世代にも受け継がれ、若いお母さんたちも私たちがつくるお漬物や梅干しの作り方に興味を持って聞いてくることがあるんです。そんなとき『農村婦人の家』のような場所があればなぁと思ったりもします。
道の駅おばあちゃん市・山岡では、旬を大切にしています。ここにしかないもの、山岡の季節を感じる食を伝えていきたいんです」
『山岡のおふくろの味』は道の駅おばあちゃん市にも引き継がれ、秋子さんが積み重ねてこられた苦労が開花されていました。
秋子さんは今でも山岡のおふくろの味を伝える伝道師として現役です。
「今はSDGsとか言う取り組みがあるでしょう。孫と話しとるときに、おばあちゃんにできることって何やろうなぁって考えたの。例えばイナゴ!イナゴの佃煮なんか、食料危機になった時にいいんやない?うちの息子が高校生のとき、弁当にイナゴの佃煮を入れたら学校でからかわれたって言っとったわ。
ほんでも私がやってきた郷土食の伝承は全部SDGsに繋がるんやねえ」
秋子さん手作りの煮豆はすぐに売り切れ、新商品開発コンテストで発案した『みょうが寿司』は、今では道の駅おばあちゃん市・山岡の名物となりました。
著しく環境が変化する中、発展しながら持続する社会を可能にするために世界は一丸となりSDGsを提案し取り組みをしています。自分の住む自然環境を大切に、自然が生み出す資源を上手に活用し、それらの食材を無駄なく使う郷土料理は、まさに、SDGsを可能にする料理だと言えます。
秋子さんの功績を知ることで、恵那のこれからをつくるヒントをいただくことができました。
▲ 道の駅おばあちゃん市・山岡の夏の名物「みょうが寿司」