恵那の食に挑戦する 料理人

平井 春子さん

料理旅館 若福

  • 料理人

 

 

 

恵那市の北部にある飯地町は標高600メートルの高原の町です。人口は約640人。コンビニも信号もない、恵那市の中で一番小さな町に『若福』はあります。

ほどんどの人が知り合いで、みんなで助け合って暮らしています。

「いもごねかいもち」や「するめの麹漬け」など昔ながらの食が残る飯地。飯地で採れた米、野菜、ジビエ料理など、飯地ならではの食が食べられる若福の女将 平井春子さんからお話を伺いました。

 

 

 

 

ー 今日は朴葉寿司をお願いしましたが、こだわりをお聞かせください。

 

 

「朴葉寿司は昔から、どこの家庭でもつくって食べていましたよ。飯地では朴葉はすぐ手に入りますからね。うちは注文を受けてお出ししています。

朴葉寿司の味はすし飯が上手くできるかどうかで違ってきます。米の炊き窯によっても違いが出ますし、たくさんの量を一度につくろうとするとなかなか難しいです。

のせる具材では、うちは酢〆めの鯖や鮭が定番。あとは椎茸、きゃらぶき、しその実、ヘボなんかものせたりします。薄焼き卵を三角や四角に切るのがこの辺りならではですね。その時にあるもの、家庭でつくるなら何でもいいんですよ。

昔は田植えの頃に食べてました。旧暦の端午の節句(6月5日)には、山へ行ってカリヤス(ちまきのお餅を巻く細長い葉っぱ)を採ってきてちまきを作ったり、朴葉もちも作ってましたよ。

 

朴葉は、木が大きくなると葉っぱが小さくなってしまうの。朴の花が咲く木の葉っぱは小さいわね。葉っぱを使って寿司を包むには、背が低い木につく、大きい葉っぱのものがよろしいです」

 

 

 

 

 

ー 飯地は昔ながらの食が色濃く残る地域と感じます。

 

 

「五平餅もあるけれど、里芋を混ぜ込んで生姜だまりで食べる『いもごねかいもち』もありますね。この辺りでは『ぼたもち』のことを『かいもち』と言うんですよ。小豆を炊いて、もち米と白米を混ぜて炊いたものをつぶしてつくる、彼岸に仏さまにお供えするおもちのことね。春は『ぼたもち』秋は『おはぎ』と言い換えたりしますね。

昔は米が貴重なもので、くず米を使っていました。そしてもち米の代わりに里芋を入れて、もちもちの触感が出るよう工夫して作ったんです。

飯地では、流通が発達した今でも『いもごねかいもち』を作って食べます。

 

五平餅も、飯地や中野方では昔から団子形だったんですよ。恵那でも南の、上矢作や山岡、串原の方はわらじ形でしたね。恵那の町中はいつから団子形になったんだろう。

炭を使ってゴトク(五徳)でじっくり焼くと美味しいんですよ。

 

こんにゃくやきゃらぶきも手作りすると本当に美味しいの。鹿や猪も山で獲ってくる人がいるから身近なものですね。

戦前までは野鳥を獲って食べる文化があったりしてね。山のなかに罠を仕掛けておいて、飛んでくる小鳥を捕まえるんです。小鳥が引っ掛かるのを待つ小屋を『鳥屋』と言ってたんですよ。鳥は街から遊びに来る人にも大人気で、よくお出ししていたと先代が言ってました。

飯地では鳥をさばいて甘酒に漬けておき、お正月に食べるのが風習だったんです。今は鳥が獲れなくなったから、その代わりにスルメを使います。

 

飯地特産品部会がまとめて作って駅前の物産館(えなてらす)や、ふるさと納税などで販売していますよ。これも人気ですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

「飯地には移住者も増えてきて、昔ながらの飯地の食を珍しがり喜んで食べてくれます。昔ながらの飯地の食はいいんだなあと、私たちも再発見することができます」

 

 

郷土の食は、地のものを使う知恵の結晶のようなもの。食材を生かし、美味しく無駄なくいただくための調理法や、飯地の食の成り立ちを平井さんから聞きながら食べると、より一層美味しさや郷愁を感じずにはいられません。

ぜひ一度、飯地の里へお越しいただき、飯地の食を堪能してください。

 

 

 

 

 

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