紅うど生産者 近藤 明徳
近藤 明徳さん
農業人
小いた園
中山道は峠道が多く東海道に比べたら旅人も少なかったようですが、中津宿から大井宿までは小高い丘を進むような、空が広く展望が良い道となり、恵那山や御嶽山を見続け歩けたことから「尾根の道・眺めよし」と言われていました。
街道沿いにある小いた園は肉厚の菌床しいたけを生産出荷しています。
昔はお茶屋さんとして名が知られていました。
小いた園がある岡瀬沢地域は古くから中山道によって村づくりが進み「大井村支村岡瀬澤」として成立。元禄郷帳には「岡瀬澤新田村」と記載あり、中山道に沿った約30戸がその中心集落となって、幕末から明治中頃にかけて木曽からの運送業者の宿屋や茶屋などもあったとされます。
街道沿いの茶屋で出されたお茶は小いた園が栽培していたものではないかと思うと、歴史好きにはロマンを感じずにはいられません。
また、令和に入った現代では、お茶に代わって椎茸を栽培する農家として受け継がれていることも興味深いです。
その小いた園を経営する、小板美和さんにお話を伺いました。
「私は、小いた園の娘としてここで生まれました。
弟が障害をもって生まれたこともあり、小さな頃から私が家業を継ぐのだろうとずっと感じて育ちました。
両親は、春夏はお茶を、冬場は椎茸を栽培する農家でした。
私も大人になり結婚して、夫が家業を継いでくれると言ったので一緒にやってました。昔の風習です。周りの人たちは農業なんか嫌がってサラリーマンになったりして。農業を継ぐなんてことはない時代でしたね。そのうち、夫と離婚することになって。家にいて、自分の手に職があるわけでもないし、半分イヤイヤ、なんとなく続けていました。」
現在、小いた園では菌床の椎茸、キクラゲ、ヒラタケ、ナメタケ、天恵菇を生産しています。直売のみで市場への出荷はしていません。
美和さんを中心に、娘さんとご近所に住むパート雇用の方々、忙しいときに助けてくれる何人かのお知り合いとで運営しています。
「椎茸生産は重労働ということもないんです。
この規模の栽培ノウハウが分かっていれば作業に追われることもほとんどなく、女の人だけでも働きやすいと思っています。従業員さんの都合に合わせてシフトを組んでいますし、今日は昼までの勤務でといった急なことにも対応しています。こちらも、どうしても出荷が間に合わないときはお願いするということもありますね。
栽培の苦労はもちろんありますよ。
椎茸の芽が思うように出芽してくれないとか。自然相手ですからね、冬場は大変です。暑い寒いですぐ反応しますから。人間と同じですね。」
美和さんの気持ちが変わってきたのは、若い農家たちと一緒に毎月第3土曜日に恵那市中央図書館で開催している、たべとるマルシェに出店するようになってから。
それは、出店している若い農家たちとの会話からでした。
「マルシェに出店している農家と話しているうちに、なんだかんだ言って続けていた農業が楽しく感じるようになったんです。
栽培品目は違うものの、農業をなりわいとしている若い人たちが『農業は楽しい!』と語っているのを聞くと、自分にも同じ気持ちが潜んでいるのがわかってきて。
椎茸が出てきたり、自分の思うようにうまく栽培できたりすると嬉しい!
自然を相手に仕事をする楽しさ、素晴らしさを意識して感じるようになると、それをお客さまに喋って喋って…伝えるようになって、一度買って食べてもらう機会が増えたんです。そうしたらうちの椎茸ファンになってくれる人も増えてきて。天恵菇の生産販売は3年目になってリピートしてくださるお客様が大勢いらっしゃるようになりました。」
小いた園の椎茸は、スーパーには売っていないような、肉厚で大きく茎の白い椎茸です。
天恵菇は季節限定の商品で、普通の椎茸に比べて旨みが3倍、苦み雑味は10分の1、ステーキやフライなど、メインのメニューとしても食べられるものです。
形が悪かったりするものは『天恵菇かぞく』と名づけ、お得に販売されています。味や品質には問題なく食べられるので、人気商品になっています。
「お客様と直接やりとりすることで、『美味しかった!』という声が聞け、本当にうれしいですね。
やりがいを感じています。
道の駅や地場もの野菜を扱うスーパーにも、自分で値段をつけて自分で納めるんですけど、売り場の方々とのやりとりを通して学ぶことが多いんです。
『どれくらいの大きさが良いですか?』『こんなのはどうですか?』って聞くとよく売れるもの、売り方のコツを教えてくれます。そういった売り場の方々との会話からお客様の要望をなるべく取り入れてそれに近づけるよう努めています。
恵那市の食農ネットワークを利用して、地元の料理人さんに使っていただくことも多くなりました。
ヒラタケが大量発生したときは販路に困ってしまって、ネットワークを通して販売したら、料理人の方々に買ってもらい廃棄することはありませんでした。
私はおかげ様で人に恵まれてるんです。
出会った人には、なるべく心を寄せるように。人との出会いが一番ですね。」
「家を継ぐのもイヤイヤで、周りの人からは「なんで?」という目で見られました。
でも、今は農業が楽しい。
続けてこれて良かったなぁと感じています。
この年齢になって、家業を継がずサラリーマンになって定年を迎えた人たちが田んぼをつくったり家庭菜園をしているのを見ると、農業っていいなあとつくづく思います。
若い農家とのやりとりは、自分にとって農業に対する気持ちが切り替わる節目でした。
自分も農業を楽しまなくちゃいけないと思うようになったんです。
そして自分で生産計画を立て栽培し販売していく、自分で経営していく方法をそれまで以上に考えるようになりました。
椎茸のことを話すと、自分の人生そのものだから…これを話すと泣けちゃうなぁ。
今は本当に幸せです。」
様々な思いがフラッシュバックされたのか、美和さんの目からは涙がぽとぽととこぼれ落ちました。
「これからは椎茸のハウスを新しく建て直して、一年中出荷できる体制をとっていきたいと考えています。
今のハウスは20年前に建て、古くて今のパート人数で回すには大きすぎるんですよね。温めるには燃料がかかるし、通年で栽培するには回転も悪いんです。お客様から注文がきても「椎茸がない!」なんてこともあって。
小さめのハウス4棟を効率的にフル活用させていけば、注文に応えることができると思うんです。
お金もかかることですけど、なんとか実現させたいと思ってます。」
背負ってきたものがフッと軽く感じたとき、自分の力量が上がっただけでなく、視野も広がるのか、次の目標を見据える目が生き生きとしていました。
歴史ある中山道の街道沿いで、小いた園はまだまだ生き続いていきます。
いつの時代も人の行き交いの大切さを感じずにはいられませんでした。
小いた園
TEL | 0573-25-3058 |
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